伝説の雀鬼・桜井章一とは

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ヤクザの代打ちとして高レートの対局に挑む裏麻雀。裏麻雀を題材にしたマンガは「哲也」や「凍牌」「むこうぶち」など数多くありますが、どこか別世界の話のようで現実感がありません。しかし裏麻雀は実在しています。

荒正義プロなどは自身が裏麻雀のプロであったことを公言し、最後の裏プロと呼ばれています。そんな実在する元裏プロの中で、雀聖・阿佐田哲也と並んで伝説になっている男がいます。

「雀鬼・桜井章一」

裏麻雀の世界で20年間無敗を誇ったと言われる雀士です。今回はこの桜井章一について、解説します。

雀鬼・桜井章一とは

桜井章一は存命する裏麻雀のプロの中で阿佐田哲也と並んで最強と称される雀士です。かつては阿佐田哲也と桜井章一のどちらも「雀鬼」と呼ばれていましたが、いつからか阿佐田哲也を「雀聖」、桜井章一を「雀鬼」と呼び分けるようになりました。

雀聖・阿佐田哲也

元は阿佐田哲也こそが裏麻雀ナンバーワン雀士と言われていましたが、その阿佐田哲也が唯一認めた裏の雀士が桜井章一なのです。

そもそも裏麻雀とは何か?というと、簡単に言ってしまえば高レートの賭け麻雀です。しかし、ただの麻雀ではありません。反社会的集団の利権をかけて裏社会で行われた麻雀です。高レートと言うのも点ピンなどというレベルではなく、1000点で10万円や100万円が動くような常識外れの世界でした。

その裏麻雀の世界で雇い主であるヤクザの代打ちとして対局で勝ち、自身の取り分でお金を稼いでいたのが裏プロと呼ばれる雀士です。

主催や雇い主が反社会的集団であることから想像できるかと思いますが、麻雀の勝敗で動くものはお金だけではありません。勝負の結果によっては身体の一部や内臓を失う可能性もあります。最悪の場合は命すらも危ぶまれることになる、まさに命がけの麻雀です。

そんな世界を生き抜いてきたというだけでも、その強さは想像に難くないでしょう。

桜井章一の生い立ち

桜井章一は1943年8月4日に東京都下北沢出身の東京生まれ東京育ちで、終戦後の混乱期に少年時代を過ごしました。当時から年上の子供相手にもひるむことなく勝負を仕掛け、ベーゴマやメンコを巻き上げるなど勝負強さを発揮していたそうです。

麻雀は賭け事が好きだった父親の影響で、幼いころから打てたようですが、本格的にハマったのは大学生の時です。大学2年生の時に友人と歌舞伎町の雀荘に足を踏み入れたことをきっかけに、櫻井はどっぷりと麻雀の世界に浸っていきました。

単純な麻雀の腕を磨くだけでなく、新宿の雀荘でイカサマの技術を学んで小遣い稼ぎをしていたそうです。

当然荒稼ぎをしていたことで、ヤクザから目を付けられることも多く、いくつもの修羅場を潜り抜けてきました。そのため、ケンカの方も相当に強かったそうです。

その麻雀の実力と腕っぷしの強さを買われた桜井は、顔見知りから大金をかけた麻雀の代打ちを依頼されました。それこそが裏世界の裏麻雀であり、これにより桜井は裏麻雀の世界へと足を踏み入れることとなります。

裏麻雀で20年間無敗の伝説

裏麻雀の世界に染まった桜井は、以降代打ちで生計を立てるようになりました。

大学の工学部を卒業した桜井はエンジニアとしてメーカーへの就職が決まっていましたが、入社前に顔合わせをした上司に対して直感的に「こいつの下で働きたくない」と感じて就職を蹴ったそうです。結局はそれが正解だったと本人は語っていましたが、なんとも博打打ちらしい話です。

代わりに桜井は就職を蹴った後に出会った貿易会社の社長に惚れ込み、その男の元で10年間秘書のような仕事をしていました。しかし、その間に給料は1円も貰っていませんでした。「人生の勉強をするのだから、給料はいらない」、社長から給与はいくら欲しいかを聞かれて桜井はそう言い切ったそうです。

代わりにいつ出社しても退勤しても自由な、今で言うフレックス制度のような労働条件で働くことにし、ヤクザや企業社長の代打ちとして裏麻雀で稼いでました。

その強さは圧倒的で、新宿のみならず全国にその名を轟かせました。無敵の強さからいつしか桜井は雀鬼と呼ばれるようになり、裏麻雀において20年間無敗のまま足を洗うという伝説を残します。

運の要素が大きい麻雀で負けないというだけでとてつもないことですが、この20年間無敗の伝説に関して、桜井自身がガセであると明かしています。本を売るために誇張して、そんな煽りを打っただけで、実際にはそんなことはなかったそうです。

また、裏麻雀の強さとは普通の麻雀の強さだけでなく、イカサマの技術の練度も含まれます。すなわち、バレないようにイカサマをする技術です。イカサマ無しで普通に打てば、普通に負けることもあるし、雀荘でおばちゃんの国士に振り込んだこともあると語っていました。

とはいえ、裏麻雀は先に説明した通り、負ければ指や命を失う恐れのある世界です。仮に無敗伝説がガセだったとしても、五体満足で生きたまま足を洗っているというだけで、伝説と言われるには十分ではないでしょうか。

雀荘「牌の音」オープン

1980年代に代打ちを引退した桜井は、テレビでイカサマを披露したり、テレビ対局に参加するようになり、世間的に名前を知られるようになりました。20年無敗の伝説も相まって桜井は、雀士にとってのヒーローであり、スターとなり、桜井章一をテーマにした小説や映画、Vシネマも制作され人気を博しました。

そんな人気の最中、桜井は下北沢と町田に雀荘「牌の音」をオープンします。雀荘と名乗ってはいますが、普通の雀荘ではありません。正式名称「雀鬼流漢道麻雀道場 牌の音」桜井章一が創案した特殊ルールの麻雀を研究する団体「雀鬼会」が集まる道場がその正体です。

雀鬼流漢道麻雀道場 牌の音

一応始めてくる人のためにノーレートの体験卓もありますが、ルールは雀鬼流のため、かなり特殊で険しい麻雀になります。普通の麻雀が打ちたい場合は行かない方がいいでしょう。

「牌の音」は現在、下北沢道場は閉店してしまい、町田道場のみ営業しています。

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雀鬼流

雀鬼流は桜井章一が創案した特殊ルールの麻雀で、桜井章一の麻雀戦略や人生哲学が反映されています。その麻雀の打ち方は非常に特殊で、普通の麻雀のセオリーからはかけ離れています。

その特殊な打ち方を一部紹介すると、

  1. 第一打での字牌切り禁止
  2. テンパイ前のドラ切り禁止
  3. 打牌は2秒以内
  4. 明カン禁止
  5. 即ひっかけリーチ禁止

など様々なことが禁止されています。

「牌の音」ではこれがルールとして明文化されており、ルールを破るとペナルティーとして、アガリ放棄でドラ以外ツモ切りとなります。打牌2秒以内というのは、まわりに迷惑をかけないようにという配慮と、余計なことを考えずに直感で決断できる判断力を養うためだそうですが、はたから見ると超スピード麻雀に見えます。

一般的な麻雀とは一線を画す雀鬼流ですが、そもそものコンセプトが勝つことにはありません。雀鬼流は自分がトップを取るための麻雀ではなく、最終的には全員がプラマイゼロになることを理想としていると言います。

点数も麻雀の点棒だけではなく、どれだけ桜井章一の麻雀が打てているかを、桜井章一本人が採点したり、自分の出来を自己評価したりと自己啓発的な側面が強いものです。それゆえに麻雀としては雀鬼流を否定する人もいますが、桜井章一の麻雀を学ぼうと雀鬼会の門をたたく雀士は今もなお少なくありません。

雀鬼会

雀鬼会は、元は桜井章一の麻雀を学びたい雀士の集まりでしたが、1991年に桜井章一本人によって団体化しています。麻雀団体といっても、日本プロ麻雀連盟や日本プロ麻雀協会のように、プロ活動は行なっていません。

雀鬼会の公式ホームページに結成の経緯がありますが、「みんながあんまり麻雀を知らないんでちょっと教えてやろうかと思って」と軽いものであったようです。それが今や半期に一度のリーグ戦を行うほどのしっかりとした団体になっています。

雀鬼会に入るのに特別な入会資格はありません。道場に通ったり、あらゆるイベントに積極的に参加したりして、桜井章一やメンバーに存在を認めてもらうことで入会できます。「麻雀が打てるか打てないかというより、どれほど色々なことに一生懸命になれたか?」を重視するそうなので、意欲を持って積極的に動けば入会できるようです。

雀鬼会自体がプロ団体ではないため、雀鬼会のプロ雀士というのは存在しませんが、日本プロ麻雀連盟所属の九段位で現副会長の伊藤優孝プロや、Mリーグ公式実況でも知られる最高位戦日本プロ麻雀協会の土田浩翔プロなど、有名プロの中にも雀鬼会出身のプロ雀士がいます。プロ雀士ではありませんが、サイバーエージェント社長の藤田晋氏なども雀鬼会出身です。

また、雀鬼会に所属しているわけではないが交流のある著名人もいますが、中でも特筆すべきは将棋棋士の羽生善治さん。羽生さんは何度も雀鬼会を訪れて、桜井章一とも交流がありますが、桜井章一との対談本「運を超えた本当の強さ 自分を研ぎ澄ます56の法則」を出版したり、一緒に講演会を開いたりしています。雀鬼会は「道場生の精神のゆがみを是正し、人間本来の心を取り戻す精神修養の場」であると桜井章一本人が言っていますが、そうした精神修行が羽生さんの将棋にも活かされているのかもしれません。

現在、雀鬼会は「牌の音」町田道場と、大阪支部である「雀鬼流麻雀道場高槻塾」を拠点に活動しています。全国各地に同好会もあるそうですので、雀鬼会に入りたい雀鬼会をもっと知りたいという人は、その門を叩いてみてはどうでしょうか。

桜井章一の人気

桜井章一はそのカリスマ性とドラマティックな半生から、様々なメディアでモデルとされています。

裏社会を代打ちとして生きてきた桜井章一の半生を描いた柳氏一郎氏によるノンフィクション小説「伝説の雀鬼・桜井章一伝」。この小説が麻雀ファンの間でヒットしたことを先駆けに、「伝説の雀鬼・桜井章一伝」の漫画版である「shoichi」や「真説ショーイチ」や「伝説の雀鬼」など、桜井章一をモデルにした漫画が次々発売されました。

また、小説「伝説の雀鬼・桜井章一伝」と漫画「shoichi」を原案にして、「雀鬼」のタイトルでVシネマが作成されます。

これが麻雀ファンから絶大な支持を受ける人気シリーズとなり、「雀鬼」が全6作、続編の「真・雀鬼」は全19巻も続き、番外編の「雀鬼・外伝 東海道麻雀無宿」も含めると全26作も作られました。

実写化した麻雀作品の映画はたくさんありますが、ここまでの長編シリーズは他にありません。

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桜井章一の人気は映画や漫画といったフィクションだけにとどまりません。

1995年にはスーパーファミコンソフトで「桜井章一の雀鬼流麻雀必勝法」という麻雀ゲームが発売されました。雀鬼流のルールで麻雀ができるという内容のゲームでしたが、オープニングには桜井章一本人が出演しています。

また、2015年には遊技機メーカーの大一商会から「CR雀鬼〜桜井章一伝説〜」がリリースされました。こちらはアニメキャラ化された桜井章一が活躍するほか、カットインで本人の画像も登場するなど、実在する雀士単体をメインテーマにした珍しい遊技機でした。

桜井章一本人も、文筆家としていくつも本を出しています。麻雀の技術や戦略に関する本を出したこともありますが、自伝を交えた自己啓発本がほとんどです。

裏麻雀の伝説やイカサマの技術も桜井章一の人気の理由ではありますが、一番の人気の理由はその破天荒な生き様とも言えます。

凄腕すぎる神業

桜井章一は、テレビで裏麻雀を生き抜いてきた自身のイカサマ技術を披露していたこともあります。かつてテレビでイカサマの技術を披露していたのは、ミスター麻雀こと小島武夫元プロでした。しかし、小島プロは立場のこともあり、イカサマ披露を自粛するようになり、代わりとして小島プロがテレビ局に紹介したのが桜井章一でした。

桜井章一は数々のあざやかなイカサマ技を披露していますが、そのどれもが手品のように巧妙で、知らずに見ていたら気づきようのないものばかりです。例えば爆弾という、配牌で手牌にドラや大物手を仕込む積み込みのイカサマがあります。桜井章一が披露した積み込みでは、大三元字一色(ダイサンゲンツーイーソー)3シャンテンを対面に仕込んでみせました。3シャンテンとはいえ、白と發と東が暗刻で中が対子、鳴けばすぐにテンパイできます。爆弾の解説中に、対面が「僕に(大物)手を入れてくださったんですか?」と聞かれ、「自分がアガル事は簡単ですけどね、麻雀は」とこともなげに言ってのけました。

爆弾のやり方も解説していましたが、はた目には話しながら目の前の牌をただ積んでいるようにしか見えません。それなのに、いざ牌を開いてみれば上段が一つ飛ばしで全てソーズで揃っていました。選んで積み込んだだけと言われれば確かにそうですが、理解しても真似できることではありません。

さらに牌のすり替えも披露していましたが、最初に手牌をオープンした時には4索のカンチャン待ちだった手牌が、次にオープンしたら5筒待ちになっている様は魔法のようです。

これだけの技術があったからこそ裏麻雀を生き抜いてこられたとも言えますし、これだけの技術がなければ、生きられなかった世界でもあったのでしょう。

なお、イカサマをスマートにこなす桜井章一の姿に憧れる人は多くいますが、イカサマはやってはいけないことですので真似してはいけません。

以上、桜井章一について解説しました。裏麻雀で20年間無敗が本当であれガセであれ、彼が伝説となるほどの裏プロであったことは間違いありませんね。

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